つれづれたまむし

しがない大学生の徒然なる雑記

秋夜の下のメイドさん

  最近大学からの帰り道にちょっとした楽しみがある。
有名な商店街を通るのだが、そこに、有名なメイド喫茶がある。
そのメイド喫茶では、僕が学校から帰る夕方に必ずと言っていいほどメイド喫茶の前にメイドさんが立っている。

  そのメイドさんを見るのが僕は好きである。
メイドさんメイド喫茶の中では最強の存在である。
それが、メイド喫茶の外、それも好奇の視線にさらされる場所にメイドがさらされている。
その状況に立たされているメイドさんの心境を想像するのが好きだ。
メイドさんの給与体制や労働環境に詳しくはないが、輝かしい世界を夢見て彼女たちはメイド喫茶の門をたたいたに違いない。しかし実際、今メイド服を着ているが、メイド服を着ることがメイドになる条件なのか。これが自分のやりたいことだったのか。そう、自問しているに違いない。

  いずれ、彼女たちはそのうち社会人として社会になじんでいくに違いない。その、おもてなしのスキル、演技力を生かして仕事をし、よい人と出会い、結婚し子をもうけ母になる。そうたどっていくかもしれない。
しかし、メイドとは何か、自分のやりたいことはこれなのかと考えていたあの夜は、例え彼女たちが社会人となった時にも、家庭を持った時にも、守るべきものがうまれたときにも彼女の心の中には一種のバグのように、ほどけることのない絡まった糸のように違和感を残し続けるだろう。

  それは、背中にのしかかる重りのように彼女たちを苦しめるようにも思えるが、それは、まさに彼女たちの存在意義を問い続けるための指針にもなりうる。

  

   僕たちにもそんな夜があるのか。自分の存在意義を考えるような夜があるのか。何かに追われて自分とは何かの問いから逃れてはいないか。

秋風に吹かれる夜もあっていいな。

たまむし